震災を経験していない罪悪感と神戸への思い


20年前の今日、わたしは東京に住んでいました。
なので、阪神大震災の体験記憶はわたしにはありません。
東京で広告写真をデジタルレタッチする会社に勤めて2年半くらい経ったころ、いつものように朝起きて出勤の準備をしながらテレビのニュースを見て、あちこちから煙が上がっているヘリからの空撮映像が流れていて一瞬何がおきているのかわかりませんでした。
次第にそこが、見慣れた街、神戸だと理解して愕然とし、会社に出勤後も自宅に何度も電話しようとしていたことを記憶しています。
両親は同じ兵庫県の西部に住んでいたので、大きな被害はありませんでしたが、幼少の頃に過ごした神戸の壊滅的な状況が映像に映し出されるのを見て苦しくなりました。


時間が経つにつれ東京のテレビの報道では、だんだん扱われることが減っていき、その年に都内で起こった地下鉄サリン事件、その後のオウムの報道一色になってしまい、神戸のことをテレビの報道で目にすることはあまりなくなりました。
入社3年目で、制作会社と言う仕事柄、日々終電でも帰れないような激務だったこともあり、たまに電話で話す母からの情報で、なんとなく震災以降の神戸の大変な状況を聞く程度でした。
「今行っても、迷惑かけるだけだから、やめておいたほうがいいよ。」
と多くの人に言われ、それを免罪符に、実家にも神戸にも戻ることはありませんでした。


震災から4年くらい経って初めて年末に帰省し、その時に神戸を訪ねました。
中心部は、何もなかったかのように、というよりもわたしが知っていた頃よりも洗練された綺麗な街になった蘇っていましたが、少し路地に入ると、まだひび割れた道や崩れた場所、放置された空き地などを多く目にして、そこに立ちすくんだ状態で、何故かボロボロと涙が流れてきました。
涙の理由は、もの凄い罪悪感です。
「今ごろ帰ってきてごめんなさい。何もできなくてごめんなさい...。」

今でも、その気持はずっとあって、今朝地震発生時刻の東遊園地での追悼行事も、自分なんかがその場所に行ってはいけないような気がして、会社の近くのお地蔵さんにて黙祷をしました。
この時期、関西のテレビは震災関連の特集番組を多く放送します。それを見る度に罪悪感でいっぱいになります。その時に神戸で震災を体験した人たちが友人や仲間にも大勢いて、その時の話を聞く度に、何もできなかった自分が恥ずかしくなります。話にも参加できなくてただただ大変だった当時のことを聞くだけです。

幼少のころに過ごした大好きな街、神戸でいつか少しでも何か役に立つことができるようになりたい。そんな思いがずっとあったので、会社をつくるなら神戸でって思っていました。
自宅から1時間20分ほど通勤に時間がかかりますが、神戸元町の小さな会社で小さなことからコツコツと頑張っています。
CSS Nite in KOBE、神戸ITフェスティバル、アップルユーザーグループ神戸、など自分ができる範囲で神戸という街に何かお返しできるように活動できたらと思っています。
阪神大震災20年の節目の年の神戸の街を歩きながらそんなことを感じました。


筆者について

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Designer・Photographer・Consultant

Yoichi Okada

神戸でWebサイト制作やデザイン・イラスト・撮影などの業務を中心に、企業や店舗へのWebのコンサルティングや運用支援をやっている会社で悪戦苦闘しています。